4月27日チェルノブイリ汚染茶の共同測定をしました(下)

GW明けの5月7日、放射能汚染茶をめぐる当時の資料が手に入りました。
提供してくださったのは、生活クラブ連合会・品質管理部。
生活クラブ生協では、1987年に放射能汚染食品測定室を共同設立し、370Bq/kgという国の基準値に対し、「国の10分の1」という自主基準を決め、チェルノブイリ後の食の安全を追求すると同時に、脱原発に向けた大々的なキャンペーンを開始しますが、その大きなきっかけとなったのが、この「汚染茶」でした。

生協では原発事故後、基準値超えをしたスパゲッティやローレルの葉などの輸入食品の供給を停止。1年後の1987年、すでに一部供給・消費されていた86年三重県産のお茶を測定したところ、自主基準を上回る数値(高いもので227Bq/kg)が検出されてしまいました。遠く離れたチェルノブイリの放射能は、日本の食卓をすでに汚染していたのです。

産直提携を大切にしてきた当時の関係者は、苦渋の決断で汚染茶の供給をストップ。産地の代表者は、仲間からすでに買い上げていた7.6トンもの在庫を抱え、1000万円の経済的負担を抱えて苦悩します。

「供給ストップには同意しました。しかし、問題は処分方法です。この7トン以上の在庫をどうしたらいいのか…。放射能は煮ても焼いても残ります。だからといって、まさかコンクリートで固めて海に捨てるわけにもいきません」(生産グループ代表者の投稿より)

国の基準値は超えていないため、値を下げて市場に出せば間違いなく売れる。でも、生産者としてそのような方法に甘んじたくはない…。
悩んだ生産者は、汚染茶を業務用冷蔵庫に入れ、当面のあいだ保管することにしました。そして、原発の問題、放射能汚染の問題を、わたしたち産地と一緒に考え続けてほしいと、消費者に呼びかけました。

しかしその後、汚染茶をめぐる議論も、生産者と消費者の交流会も、生産者が期待したほど進みはしませんでした。一方、事実を知ったマスコミが、出荷停止の実態を大々的に報道。「伊勢のお茶のイメージダウンだ」「保管しているなどと言うが、実は混ぜて市場に売られているのでは?」などという心無い中傷にショックを受けた生産者は、1.5トンの汚染茶を焼却処分してしまいます。

生活クラブはその事実に衝撃を受け、本腰を入れて、この問題に取り組むことを決意。汚染茶を、食卓の放射能汚染を考える生きた教材として買い取るとともに、各単協へ配り、それぞれに「放射能汚染キャンペーン」を企画実施し、この問題を広く消費者とともに考えてほしいと呼びかけました。

わたしたちが測定した「汚染茶」の缶詰は、当時の関係者たちが議論の末に、缶詰にして保管したものの一部だったのでした。

「私たちは原発があまりにも大きな危険を持っていることを伝えるために、また私たち自身が反原発の思いを持ち続けるために、このお茶を今後永く保存し続けたいと思い缶詰にしました。そして、このお茶を何年かのちに再び検査をして、放射能が後世に永く影響をもたらすことを実証していきたいと考えています」
これは、汚染茶の缶詰に記されていたメッセージです。

セシウム137の半減期が目前に迫る中で起きた福島原発事故。
缶詰に書かれたメッセージが、再びリアリティをもって私たちに迫る時代が訪れるとは、この缶詰も思いもかけなかっただろうと思うのです。

 測定員 加藤涼子

カテゴリー: 測定ブログ   パーマリンク

コメントは受け付けていません。