2025年3月2日(日)西東京市田無公民館で西東京市市民企画事業として実施しました
大勢の皆さんの参加のもと、青木さんのメリハリのあるよく通る声で講座は始まった。まずご自身の紹介から。わたしは6人兄弟、両親、祖父母の10人家族で北海道の大地で育った。父親がエネルギー研究者で、子どもの頃から資料作りなどの手伝いをした。高校生時代からは学会などに同行し、エネルギー関係の話を聞く機会が多くあった。

原発事故で大気中に放出された放射性物質のうちセシウム137は半減期が30年であり、まだまだ残っている。野生キノコに関しては福島第一原発から380km離れた青森県鯵ヶ沢でも検出され、昨年の暮れにはインターネット販売で「静岡と山梨の盛り合わせ」として販売されていたキノコから200Bq/kgという値が出た。(山梨県のホームページより)放射性物質は葉や枝にも降り注ぎ付着する。山林は除染が難しい。放射性物質は雨水に溶け移動する。また、土に付着した放射性物質も土埃となり風で何処へ飛ぶかわからない。
原発が稼働している場合には核燃料を取り出さないと事故後3時間でメルトダウンする。
福島第一原発は燃料デブリがかなり残っている。推計880トンのうち取り出したのは約0.8グラム。
国の発表では2024年1月現在 福島県からの避難者は2.9万人だが、住宅を打ち切られた人はすべて避難者から外され、いないことになっているので他に大勢の避難者がいる。原発事故・子ども被災者支援法も制定され、住宅のことも明記してあるのに、まったく生かされていないのが現状だ。
福島第一原発から2.5キロ、双葉町で黒毛和牛農家を営んでいた鵜沼ひさえさんのビデオを視聴した。
もともと双葉町は2011年以前は空間線量が1時間あたり0.03〜0.04マイクロシーベルトだったが、事故後2022年の取材時には線量計が1時間当たり1.7マイクロシーベルトを指し、アラームが鳴っていた。家はまだ形を保っていた。
2025年1月には雨で腐ったのか家は潰れていて、どこまでが家だったのかわからなくなっていた。ベビーカーやらプラスチックの黄色い樽など記憶に無いものが不法投棄されていた。まだ空間線量は1マイクロシーベルトあった。
除染は全く進まず、どこまでやってくれるのかわからない。除染が終わった所でも、まだ0.238マイクロシーベルトある所も見られる。今は年2回帰ってくるだけ、家が崩れていくのを見るのはつらい。
東海第二原発はロシアのターゲットになっている。東海村は原子力発祥の地で首都圏に近い。東海第二原発から田無駅まで126Kmしかない。
福島第一原発事故後に、原発の運転期間は原則40年とされたが「極めて例外的」だったはずの運転延長が、東海第二原発も20年の延長が認められている。
私は以前、北海道新聞にいて原子力は懐疑的に捉えていた。朝日新聞社に移ったが、朝日新聞が原子力に対してどう考えているか、ハッキリしなかった。2011年原発事故が起きてしまった。取材活動を通して、再び事故を起こしたら、日本はたちいかなくなってしまうと思った。原発ゼロを目指すべきだ。
日本が原発をやめられないのは、いわゆる原子力ムラを構成している政治家、ゼネコンや電通などの業界、官僚や学者そしてメディアなどの権益になっているからだ。学者は電力会社から研究費を出してもらったり、教え子たちの就職を世話してもらう。官僚も、ものを言うと出世の道を閉ざされる。メディアはどうなっているか。異論を言うものは排除するという空気がないか。記者が福島の被害を書いても、デスクが関心ないと載らないとか。記者が汚染のことは社の方針で書けませんでした、と言っていないか。広告費をもらう大手企業の顔色を伺いながら報道するようになっていないか。
〈 山田真医師との対談の中での山田医師の発言 〉

2011年以前「日本は被爆国なのに放射線に対する警戒心がうすい」とイギリスの学者などから言われていた。医療用放射線について言うと、日本では医療用放射線を沢山浴びている人が多い。特にCT が医療に導入されてからは、医療被曝量が多くなっている。世界中のCT 機械の三分の一が日本にあると言われ、CT撮影が過剰に行われている。CT機は改良されて今は照射量が減ってきているが、以前は1回のCT撮影で10ミリシーベルト浴びることもあった。今は機械が改良され10ミリシーベルトも浴びることはなくなっているが、4~5ミリシーベルトは浴びる。
原発がなぜ無くならないかと言うことで言えば、原子爆弾を作るのに必要なウランやプルトニウムは天然には殆ど存在せず、原発内で作り出される。抑止力として原爆は持たないがウランやプルトニウムがあればいつでもどこでも原発を作れるので、原発を稼働させたいのだと考える必要がある。